岩崎淑(ピアノ)父・夫家族構成!本名とプロフィールも紹介!

岩崎淑(ピアノ)父・夫家族構成!本名とプロフィールも紹介! ピアニスト
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世界で活躍するピアニスト岩崎淑さん。

演奏活動もされながら、桐朋学園大学などで教授としてピアニストを育てられています。

数々のピアノコンクールの審査員も務めてらっしゃいますよね。

今回は、そんな岩崎淑さんの父や夫などのご家族構成や、本名・プロフィールについてご紹介していきます!

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岩崎淑(ピアノ)の父・夫など家族構成!

岩崎淑さんのご家族構成は、父・母・弟の4人家族です。

音楽が大好きなご家庭で育ったようで、弟さんはチェロ奏者である岩崎洸さん。

お父様である千蔵さんはバイオリニストであり、台湾の学校で音楽の先生もされていたそうです。

「アンサンブルピアニスト」として名高い岩崎淑さんですが、幼い頃からバイオリニストのお父様から教わりながらピアノを弾いていたそうです。

戦時中でもピアノ練習を欠かさなかったというエピソードを語られていて、凄まじい音楽一家ぶり。

厳しい渦中でも音楽を愛することを忘れない、素晴らしいご家庭だったのだなと感じます。

岩崎淑さんはご結婚はされているようですが、夫や結婚生活についての情報は全くありませんでした。

私生活は謎に包まれていますが、他の音楽家との交流の様子がSNSにアップされていて、とても穏やかなお人柄のように感じられます。

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日本クラシックの歴史の生き証人といった感じの岩崎淑さんとの共演は、とても貴重な体験でしょうね!

岩崎淑は本名?プロフィールについても!

世界的にも活躍されている岩崎淑さんですが、おそらく「岩崎淑」という名前は本名だと思われます。

名前として一文字では珍しい漢字ですが、とても素敵なお名前ですよね。

学歴は?

岩崎淑さんの気になる学歴はこちら↓

■学歴

桐朋学院短大主席卒業

アメリカ・ハートフォード大学音楽学部留学

アメリカ・ジュリアード音楽院留学

イタリア・キジアーナ音楽院留学

岩崎淑さんは、1937年(昭和12年)4月3日生まれ、岡山県倉敷市出身。

幼い頃からピアニストとして新聞に載るなど、天才ピアニストぶりを発揮されていました。

中学時代から東京に越してきた岩崎淑さんは、アルバイトでもピアノを弾いていたそうです。

当時、演奏を聞いたアメリカ人のクラークさんという方に「留学をする気はないか」とスカウトされるも、はじめは経済的な理由で断ったようです。

その後、やはり日本ではこれ以上学べないと考えた岩崎淑さんは、クラークさんへ相談しデモテープを送ると、大学の奨学金を出してもらえることに。

そうして、岩崎淑さんは当時の日本では珍しい音楽留学をされました。

賞歴・経歴は?

岩崎淑さんの賞歴はこちら↓

■賞歴

ミュンヘン国際音楽コンクール(1967年)、二重奏部門第3位

ブダペスト国際コンクール(1968年)、伴奏者特別賞

チャイコフスキー国際コンクール(1970年)、伴奏者特別賞

1970年に開催された「チャイコフスキー国際コンクール」では、弟であるチェリストの岩崎洸さんと共に受賞され注目されます。

その他、著名な音楽家とも共演し、「アコンパニスト」(伴奏者)として精力的に活動されていました。

とにかく日本と海外を頻繁に行き来する多忙な生活を送られていたようで、

  • イタリアキジアーナ音楽院室内楽クラス
  • オランダミュージック・セッションズ伴奏科
  • フランスクールシュヴェール伴奏科

上記↑の海外のクラスでも教鞭をふるわれていたりと世界で活躍されています。

イタリアの「ヴィオッティ・ヴァルセジア国際音楽コンクール」「カントゥ国際音楽コンクール」など多数のコンクールでは審査員を務めていて、国内では「高松国際ピアノコンクール」などでも審査員も務めていらっしゃいます。

現在は、

  • 桐朋学園大学大学院大学教授
  • 尚美学園大学大学院客員教授
  • くらしき作陽大学客員教授
  • 武庫川女子大学客員教授

という肩書にて、ピアニストを育てていらっしゃいます。

やはり日本のクラシック音楽を、現在に至るまで支えてこられた方という印象が強いです。

岩崎淑さんの著書である「ピアニストの毎日の基礎練習帳」は、ピアノを弾く方には必読書となっています。

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ちなみに、皇室のピアノ講師も務められてもいました。

日本を代表するピアニストとして、とにかく素晴らしい経歴ですよね!

おわりに

今回は、ピアニスト岩崎淑さんについてご紹介してきました。

お父様がバイオリニストで、弟さんもチェロ奏者であるという音楽一家である岩崎淑さん。

今でこそ、ピアニストになるために海外留学は当たり前のような時代ではありますが、岩崎淑さんがご研鑽を積まれていた当時は、今よりも苦労なども多かったのではないかと思います。

現在もなお、日本クラシック会を牽引されている方ですが、やはり凄まじい歴史を感じました。

人生が音楽一色といっても過言ではないほど、密度の濃い経歴でいらっしゃいますよね!

今後もますますのご活躍をされることでしょう!

最後までお読みいただきありがとうございました。

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