井上道義ってどんな人?
アメリカ人とのハーフなの?出身はどこ?
そんなことが気になるあなたに向けて、この記事では出生や経歴についてご紹介します!
結論から言いますと、井上道義さんはアメリカと日本のハーフです。
少し複雑な生い立ちを歩んでいますので、出生の秘密やこれまでの経歴について触れながらご案内します!
井上道義はアメリカ人のハーフ?
井上道義さんは、終戦翌年の生まれでアメリカと日本のハーフです。
ただ、そこには少し複雑な事情をお持ちだそうです。
まずはご両親の歴史を辿ってみましょう。
父・正義の経歴
井上さんの父・正義さんはアメリカ生まれで、井上さんの祖父が広島県からの移住者、つまり日本人です。
ネブラスカ州立大学を首席で卒業し、優秀であったにも関わらず、人種差別によってアメリカでの就職が叶いませんでした。
このことがきっかけで、30歳の時に日本にやって来ます。
母・迪子の経歴
母・迪子さんは英文学者の娘で、キリスト教のカトリック教徒でしたが、日本人家庭に育ちました。
つまり、日本人です。
聖心女子大学を卒業され、資生堂に入社をしています。
父と母の秘密
井上さんのご両親には、井上さんの出生に関する大きな秘密があります。
前述したように、井上さんのご両親はお二人とも日本人です。
それではなぜ、井上さんはアメリカと日本のハーフなのでしょうか?
ご両親は共に資生堂に入社し、社内結婚をされました。
アメリカとの戦争が始まる頃になると英語の話せる人間はスパイだと疑われるようになり、英語が堪能だったご両親は憲兵に連行されることを恐れ、フィリピンへと渡りました。
戦後、東京へ戻ったご両親は新たな生活を始め、母・迪子さんは英語力を買われて、進駐軍の基地で働くようになったそうです。
その後、迪子さんのお腹には井上さんが宿り、無事出産に至ります。
しかし生まれた井上さんを見て、父・正義さんは「自分の子供ではない」と言い、3日間家に帰らなかったそうです。
そう、実は井上さんは迪子さんと進駐軍の基地にいた米軍中尉との間に出来た子供だったのです。
カトリック教徒だった迪子さんは司祭の「真実は黙っていなさい」という教えを忠実に守り、井上さんが30代になるまでひた隠しにしていたそうです。
井上道義の生い立ちや経歴は?
生い立ち
出生自体がドラマの主人公のような井上さんですが、自分はご両親の実の息子であることに疑いはなかったそうです。
また、ハーフ顔ではあるものの、幼少期に差別やいじめを受けることはなく、疑問に思うことはなかったと語っています。
14歳で指揮者を目指す前は、俳優になりたいと考えており、中学は演劇部に所属。
ただ、日本人離れしたその容姿から、出来る役柄が限られてしまうことを実感し、その夢を断念したそうです。
経歴
1946年、東京生まれ。桐朋学園大学を卒業。斎藤秀雄氏に師事。
1971年にミラノ・スカラ座主催のグィド・カンテルリ指揮者コンクールに優勝して以来、一躍内外の注目を集め世界的な活躍を開始する。
1976年、日本フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会で日本デビューを果たす。
1977年〜1982年はニュージーランド国立交響楽団の首席客演指揮者、1983年〜1988年は新日本フィルハーモニー交響楽団の音楽監督を歴任。
1990年〜1998年は京都市交響楽団の音楽監督と常任指揮者、2014年〜2017年は大阪フィルハーモニー交響楽団の首席指揮者として活躍。
また、2007年〜2018年の11年間は、オーケストラ・アンサンブル金沢音楽監督を務め、斬新な企画と豊富な音楽性で注目を集めた。
これまでにシカゴ響、ハンブルク響、ミュンヘン・フィル、スカラ・フィル、レニングラード響、フランス国立管、ブダペスト祝祭管、KBS響およびベネズエラ・シモンボリバルなど世界一流のオーケストラへも登壇している。
2014年4月に病に倒れるも、同年の10月に復帰。
2018年9月には日越外交関係樹立45周年記念NHK交響楽団ベトナムツアーを指揮し、絶賛を博す。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
この記事では井上道義さんがアメリカ人とのハーフだったのか、生い立ちと経歴についてご案内しました。
ご本人の生い立ちや経歴だけではなく、ご両親の歴史まで遡ることで井上さんの出生の秘密が見えてきましたね。
<井上家>
父・正義→日本人の両親を持つ、アメリカ出身の日本人
母・迪子→キリスト教のカトリック教徒の日本人
子・道義→実父がアメリカ軍中尉のハーフ
人はそれぞれ知られたくない過去の一つや二つはあると思いますが、井上さんは自分の出生についてメディアでも語っています。
その中で、生まれた瞬間「自分の子ではない」と気づいた父・正義さんに対する感謝も述べています。
30年以上も事実を隠したまま、実子として育てたのは妻と息子への愛なのでしょうか。
他者が想像し得ない苦難や葛藤があったのだろうと思いますが、それも一つの家族愛なのかもしれません。
また、自分が日本人だと思えば、どんな容姿であっても日本人だと思います。
それぞれが、固定概念に囚われずに毎日を過ごしていけたら良いですね。