小林研一郎(指揮者)の凄さと特徴!経歴と評価評判・口コミまとめ!

小林研一郎さんってどんな人?

小林研一郎さんってすごい人なの?

という疑問を持っている方に向けて、小林研一郎さんの凄さや特徴を詳しくご紹介します!

小林さんは、80歳を超えてもなお現役を続ける指揮・作曲家です。

小林さんといえば、東洋人で初めてプラハ音楽祭のオープニングに起用されたすごさがあります。

情熱的な指揮が特徴の小林さんについて、評価・評判なども口コミと合わせてご紹介していきます!

目次

小林研一郎の凄さと特徴

音楽業界で長いキャリアを持つ、小林研一郎さんの凄さと特徴をご紹介します!

「プラハの春音楽祭」で東洋人初の起用

小林さんといえば、「我が祖国」の指揮が有名です。

2002年5月の「プラハの春音楽祭」オープニングコンサートの指揮者として、東洋人として初めて起用されましたのが印象的です。

大統領臨席のもと「我が祖国」全曲がチェコ・フィルにて演奏され、コンサートの模様は全世界に向け放送されました。

日本人初の快挙として国内外の数多くのメディアに紹介され、より知名度を上げるきっかけになりました。

『我が祖国』とは

べドルジフ・スメタナの代表的な管弦楽曲で、6つの交響詩からなる連作交響詩。

スメタナの祖国であるチェコスロヴァキアの歴史と自然が題材とされています。

第2曲である『モルダウ』は、中高生の合唱題材にもされることもあり特に有名です。

6曲を全て通して演奏すると、約74分にも及びます。

情熱的な指揮

”炎のコバケン”という愛称で親しまれているところからも、情熱的な指揮が特徴です。

80歳を超えても現役で活躍する姿は、若手に敬われる存在となっています。

小林研一郎の経歴

小林研一郎さんの経歴ご紹介します!

1940年福島県いわき市で誕生

東京芸術大学作曲科・指揮科の両科を卒業

作曲を石桁眞礼生、指揮を渡邉暁雄、山田一雄の各氏に師事

1974年 第1回ブダペスト国際指揮者コンクール第1位、特別賞を受賞

ハンガリー政府よりリスト記念勲章、ハンガリー文化勲章、星付中十字勲章(民間人で最高位)を授与される

これまでに国内外ともに多数のポジションを歴任

【海外】

ハンガリー国立フィル、チェコ・フィル、アーネム・フィル、ロイヤル・コンセルトヘボウ管

フランス国立放送フィル、ローマ・サンタ・チェチーリア国立管、ロンドン・フィル、ハンガリー放送響

【国内】

N響、読響、日本フィル、都響

作曲家としても多くの曲を書いており、管弦楽曲『パッサカリア』は様々な機会に演奏されている。

現在も日本フィル桂冠名誉指揮者、東京藝術大学・東京音楽大学・リスト音楽院名誉教授などを務める

10歳の時にベートーヴェンの《第九》を聴いたのがきっかけで、作曲家を目指すようになりました。

東京藝術大学の作曲科に入学するものの、自分のやりたいことは作曲ではないと感じ、藝大の指揮科に入りなおしたそうです。

その時はすでに30歳を過ぎていました。

指揮者の主な国際コンクールは、29〜30歳の年齢制限があり出場できるコンクールがとても限られる状況でした。

34歳で「第1回ブダベスト国際指揮者コンクール」で第1位になり、世界中からオファーが来るようになり現在に至ります。

小林研一郎の評価・評判・口コミ

小林研一郎さんの評価・評判はどのようなものなのでしょうか。

https://twitter.com/kikyo_sub1208/status/1451906576260816896

80歳を超えてもなお衰えない迫力の指揮で、「かっこいい!」「迫力がすごい!」などの声が目立ちました。

ホールでは若者との共演でも引けを取らないバイタリティを感じられるようです。

まとめ

80歳を超えてもなお現役の小林研一郎さん。

指揮者だけでなく作曲家としても活動し、民間人の中で最高位の勲章を授与されるなど、素晴らしい経歴の持ち主です。

”炎のコバケン”と親しまれ、情熱的な指揮が人気を集めています。

テレビなどで見かけた際は、ぜひご活躍をチェックしてみてください!

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